2000年代から2010年代にかけて
活躍した元フィギュアスケート選手の浅田真央さん。
引用:THE ANSWER
2020年12月18日、『女性自身』で
浅田真央さんと父親の確執が取り上げられ大きな話題となりました。
一体、親子の間で何が起こったのでしょうか?
今回は浅田真央さんの父親や
親子間で起きた確執について色々と紹介していきます。
浅田真央のプロフィールや経歴を紹介!
まずは浅田真央さんのプロフィールや経歴を紹介していきます。
生年月日は1990年9月25日で、愛知県名古屋市の出身です。
アクセルやループを得意とし、
当時の女子スケーターとしては希少な3回転ジャンプを跳べるのが自慢です。
2005年のGPファイナル優勝と
荒川静香さんのトリノオリンピック優勝の相乗効果で、
日本にフィギュアスケートブームを巻き起こしました。
オリコン調査「好きなスポーツ選手ランキング」女子部門においては、
6年連続で年間1位を獲得し、日本のみならず海外においても、
人気の高いスポーツ選手へと成長しました。
浅田真央さんは2017年4月10日をもって
現役選手からの引退を表明し、
現在は主にタレントとして活動しています。
姉の浅田舞さんもフィギュアスケート選手でしたが、
こちらも2010年に引退しています。
浅田真央の父親は誰?何をやっている人?
続いては浅田真央さんの父親を紹介しましょう。
彼の職業についても解説していくので、
どのような人物なのか知る事ができます。
父親は元ホストでホストクラブの経営者でもあった
名前は浅田敏治と言い、
若い頃はホストをしていたそうです。
敏治さんは元暴走族であり、
18歳からホストになってからは
ホストクラブで働くようになったとの事です。
20代の頃に大阪のホストクラブでナンバーワンとなり、
30代前後で独立してから複数の飲食店や
ホストクラブを経営するようになります。
その矢先に妻の匡子さんと出会い、
できちゃった婚という形で籍を入れました。
40歳を境にホスト業界から足を洗い、
一時期は娘達のマネジメントをしていましたが、
現在は仕事は全くしていないそうです。
ホストをしながら娘2人のスケート代を稼いでいた
敏治さんの源氏名は「沢村翔」と言い、
オーナーを務めたホストクラブ「カーネギー」も
年商1億円を超える人気店でした。
浅田真央さん姉妹がスケートを続けられたのは、
父親がホストだったからとも言われています。
現役時代の敏治さんはホストとして
娘2人のスケート代を捻出していましたが、
家系は常に火の車だったそうです。
そのため自宅の土地を担保にしたり、
大手消費者金融からお金を借りた事もありました。
その後、浅田真央さんがGPシリーズで初優勝してから
多額の賞金が入るようになり、
生活にも余裕が出始めてきました。
敏治さんは世間体を気にして店を畳み、
ホストとして活動する事はなくなりました。
有名になるまではスケート代を捻出してくれたので、
浅田真央さんも内心父親に感謝しているでしょう。
浅田真央の母親は誰?今は何をしている?
浅田真央さんの母親・浅田匡子さんについても紹介しましょう。
現在は何をしているのか、
気になっている人もいるかもしれません。
母親は肝硬変で既に亡くなっている
匡子さんは2011年12月9日に亡くなっており、
死因は肝硬変でした。
容体が悪化したのはカナダでのGPファイナル開幕直前であり、
浅田真央さんは急遽日本に駆けつけています。
しかし、大事な試合を欠場したにもかかわらず、
母親の死に目に立ち会う事は叶いませんでした。
その悲しみは心中を察するに余りあるものと言えるでしょう。
ちなみに匡子さんは生前、
「自分が苦労してきたから娘には好きな事をして欲しい」と
インタビューで語っていました。
この想いに応えるかのごとく、
浅田真央さんは葬儀直後の全日本選手権で2年ぶり5度目の優勝を果たしました。
浅田真央と父親の間に起きたトラブルとは?
浅田真央さんは父親の敏治さんとの間に
トラブルが起こっておりそれが原因で現在は絶縁状態にあるそうです。
親子の間に起きたトラブルがどのようなものか、
詳しく解説していこうと思います。
父親の女性問題が原因で関係が悪化
敏治さんとの確執が初めて語られたのは、
2015年7月30日に発売された『週刊新潮』での報道がきっかけです。
原因は敏治さんの女性問題であり、
交際相手の50代女性に暴力を振るっていた事が特集されました。
交際を始めたのは2011年12月であり、
匡子さんが亡くなった直後となっています。
当初は敏治さんも優しくしていたそうですが、
次第に暴力を振るうなど乱暴な態度を取り出し、
2015年5月22日に逮捕されます。
浅田真央さんは交際相手の事は知らなかったらしく、
インタビューでも怒りを露わにしていました。
一時期は父親と絶縁状態にあった
現在は落ち着きを見せましたが、
浅田真央さんと敏治さんは一時期絶縁状態にありました。
インタビューによれば、
女性問題をきっかけに生活費を渡すのもやめたとの事です。
とはいえ浅田真央さんからしてみれば、
現役復帰を決めた頃に父親の女性問題が発覚したので、
怒りを感じるのはもっともでしょう。
まとめ
いかがだったでしょうか?
浅田真央さんの父親について、
職業や現在の関係などを紹介してきました。
父親の敏治さんは元ホストであり、
ホストクラブ「カーネギー」の
オーナーも務めていた人物です。
このホストクラブは年収1億円を超え、
かなりの人気店として繁盛しましたが現在は閉店となっています。
浅田真央さん姉妹がスケートを続けられたのは、
金銭的に恵まれていた部分も大きいのかもしれません。
しかし、2015年に敏治さんの女性問題が発覚し、
それが原因で親子関係は悪化、しばらく絶縁状態にありました。
問題が発覚したのは
母親の匡子さんが亡くなった直後であり、
浅田真央さんもそれまで知らなかったそうです。
母親の死に目に立ち会えず、
悲しみに暮れている所に問題が発覚したので、
浅田真央さんの怒りは計り知れないものだったと思います。
生活費を渡さないなど、
一時期は絶縁状態にありましたが、
2020年頃から関係の回復を窺わせる動きがありました。
『浅田真央100の言葉』という本が出版された際、
その中に敏治さんの言葉も収録されていました。
完全に許した訳ではないものの、
家族としてお互い大切に想っていたという何よりの証拠でしょう。
現在、浅田真央さんはタレントとして活動しており、
テレビで敏治さんについて語る機会もあるそうです。
今後も更なる活躍に期待しながら、
浅田真央さんの事を応援していきましょう!